🍋coco🍋お得ポイ活大好き生活

ポイ活と子育て奮闘中の専業主婦COCOです⭐️ ゆるーくポイ活!

水子供養に行くのに3年かかった私の体験談

 

2023年になりましたね!明けましておめでとうございます。

気持ちの区切りをつけてからお小遣い稼ぎに復活したいと思いこの記事を書きます。

 

COCOは現在第二子を妊娠中です。

最近はつわりで体調が悪く2歳の娘のお世話も大変、更新をお休みしていました。

体調が良くなって来たので少しづつ復帰します。

 

実は3年前、初めての妊娠にて流産を経験しました。

心拍確認後母子手帳をもらった後の9週目での出来事。

その後に現在2歳になる娘を無事に出産しましたが、私にとって妊娠は恐怖。

2人目がいることを知ってから私のように流産を経験した方や死産の体験記をたくさん読みました。

またダメなんだろうか?障害があったらどうする?そんな小さな命に本気で向き合う妊娠期間です。

 

ポコズママの会の体験記等を読んで私も自分の気持ちの整理をつけるためにこの記事を書くことに致しました。

pocosmama.jp

3年経ってやっと、初めてお腹の中に来てくれたあの子にありがとうの気持ちが湧き上がってきて水子供養にも行ってきました。

あの子が生きた証を自分のブログに残します。

 

 

あの子について

2019/10/3   4w2d   妊娠検査薬陽性

2019/10/12  5w4d  初めての検診 胎嚢確認

2019/10/26  7w4d  2回目の検診 心拍確認、母子手帳をもらう

2019/11/08  9w3d   3回目の検診 心拍が止まっていました

2019/11/11    手術をして、あの子とお別れした日

私たち夫婦は大学生時代に出会い、就職を機に遠距離恋愛を続けてました。

入籍後も私が職場に関西への異動願いを出し続けていましたがうまくいかず、別居婚を続けている状態でした。

結婚式を終えても別居婚。別居生活は4年以上続き、寂しさを我慢して生活していました。

そんな生活の中で妊娠を知ったときには本当に嬉しくて、やっと一緒に夫と暮らせる、別居婚の終わりが見えたと思っていました。

ままの苦しみ

あの子を亡くした頃の私は絶望でした。

何を食べても味がしなくて1週間で5キロ以上痩せたかな。

まだ若いはずなのに。どうして私が。SNSで幸せそうな人を見るたびに羨ましくて。

あの子のことを無かったことにしたくて、忘れたくて、母子手帳も何もかも捨てました。

誰かに同情して欲しいわけでもない。

慰めて欲しいわけでも、話を聞いて欲しいわけでもなくただ大好きな夫がそばにいることだけが安心でした。

産院の対応

心拍が止まっているのを確認したときに医師は私に前回の検診で心拍が弱かったとカルテに書いてあると言いました。そんなこと一言も聞いていなかったのでショックは倍増。

それを知っていたら心の準備もできたし、職場に報告をせずに済んだのに。

そもそもどうしてその状態で母子手帳の許可まで出したのか。

手術当日は妊婦さんと同じ待合室。前処置の時は泣いていると「前処置せずにでも良いんか」と怒られました。手術までの待ち時間は硬い机の上にタオルを引かれたところに寝かされ、手術へ行く時も新生児が見えるところを通らされ、手術後は「よくあることだから。よくやる手術だし」と軽い感じ。

きっともうここの産院で産むことのない、お客さんでは無いので雑な扱いを受けたのでしょう。

上司の対応

妊娠中は上司にのみ相談していました。

妊娠中の時差出勤等の制度は甘えになるからと使わないように言われました。

つわりも酷かったですし無理をしました。

流産後は有給が少ないからすぐに出勤して退職の手続きをするしかないと言われました。

仕事を続けることはできないと。

他の上司に相談したところ休職制度があることを知り会社に診断書を提出し休職することができました。

「遠距離しているのが辛いだろう」「夫婦は一緒にいるべき」私のことを思って休職という制度を伝えずに退職を勧めたと他の人から聞きました。でも人の幸せを勝手に決めるのはどうなんでしょうか。あの時にあのまま仕事を辞めていたら一生後悔していました。信頼していた上司だったので対応にひどく傷つきました。

義実家からの言葉

「子宮が早く回復するように遠隔でパワーを送るから呪文を唱えて」

夫のLINEに義母から送られてきた言葉です。

私はスピリチュアルは苦手、特に手かざし系の宗教は過去のトラウマもあり鳥肌が立つほど無理でした。今まで苦手なことがバレると関係が悪くなると思い義実家には隠してきました。

でもこの文章を見て我慢できず発狂しました。

そんなことができるならあの子を助けてあげてよって思っちゃいますよね。

これがきっかけで義実家からまた何か言われないかとかとても敏感になっていたので、夫がうまく親には説明しておくし家族LINEも抜けていいよと許可してくれたので義実家とは距離を置いていました。

もちろん何を信じるのも自由だし、良かれと思っての行動だと思うので責めるつもりもありません。ただ、こちらの気持ちを想像して欲しいですよね。。。

周りの幸せを祝福できない葛藤

あの子を亡くして絶望の中、誰かの幸せを祝福できなくなりました。

幸せそうな人を見るのが辛くて羨ましくてSNSも見れなくなりました。

お誕生日おめでとうこの言葉さえも嫌になり誰とも連絡を取らなくなりました。

私が流産したことが噂になっているのではないか、みんな知ってるのかもと誰かから連絡が来るのが怖くなりました。

この時に励ましの言葉をもらっても全て悪い方へ攻撃として受け止めてしまっていました。

毎日自分を責め続け壊れました

あの子が亡くなったのは私が無理して仕事をしたからだ自分のせいだと責め続けました。

赤ちゃんをまともに産めないなんて奥さん失格だと、こんな辛い思いするならもう子供はいらない。私と別れて欲しいと夫にも言いました。

人混みに行くと呼吸が苦しくなって外にも出られなくなりました。

どんどん壊れていく私をそばでずっと夫は支え続けてくれました。

暗い方へと徘徊する私のことも探して追いかけてきてくれました。

あの子が教えてくれたこと

出産は奇跡

妊娠=出産ではないと言うこと。

産まれてきて普通に生活できることが奇跡的でとても幸せだということを教えてくれました。

当たり前のようなことが普通ではないんだと教えてくれました。

パパとママを一緒にいさせてくれた

あの子が亡くなってからすぐにコロナ禍での生活になりました。

ショックで休職し関西で夫と暮らし始めた後です。

外出禁止等でパパとママはさらに離れ離れになっていたかもしれません。

あの子がいたからコロナ禍でも夫婦で一緒に生活ができました。

後悔ない仕事のやめ方ができた

流産後に上司の言う通りに仕事を辞めていたらきっと後悔ばかりでした。

休職させてもらってしっかりと悩んで辞めることができました。

夫は実際に転職活動を行なって私も仕事を続けるつもりでしたが結果は退職。

たくさん悩んで関西で住むことを選びました。後悔はありません。

子どもとの時間を大切にしながらお小遣い稼ぎにも目覚めることができました。

住む場所

あの子が亡くなってから4ヶ月後に新しい命に恵まれた私たち。旦那は長男坊です。

義実家に帰る予定でいたのですが義母のスピリチュアルがエスカレートし、自宅で施術を始めていました。子どもの環境を一番に考えるともう地元へは戻れない。と言うことで義実家方面ではあるが少し距離が保てそうな場所で住むことを考えていました。

何かあったら駆けつけられるようにと。

以下のことがあったので白紙になりましたが。

縁もゆかりもない場所に住まなくてよかったです。

今住んでいる場所は児童館もたくさんあって近所にお友達もいて周りに恵まれています。

義実家の恐ろしさ

妊娠7ヶ月の頃。胎動もはっきりとわかり実家の家族にも半年ぶりに会えるようになった頃。

精神状態も安定してきたので義実家へ行くのに同行しました。

連絡が取れなかったことの謝罪を含め、子どもができたことや住む場所について夫と話しに行きました。

その場では義母がメモに私への不満をまとめて読み上げてくださるまさかの展開でした。

私が恐れていた「スピリチュアル苦手=義母嫌い」と捉えられてしまっていたようです。

3年後には絶対お前たちは離婚する(ドヤ顔の笑顔で)
家の借金と離婚でお腹にいる子がかわいそう
1度目の妊娠では可愛いと思ってなかったからダメだったんだろ
素晴らしい披露宴をありがとうございました(にっこり笑顔で嫌味ったらしく)

上記は言われた言葉のほんの一部です。

私たち夫婦は一言一句その時の声や表情も覚えています。

うつ病の絡んでいる高リスク妊婦に平気でここまで言う。

本当に愛する夫の親なのだろうかと疑ってしまいました。

その後も何度もフラッシュバックしました。

でもその度に夫が支えてくれました。結果夫婦の絆が深まりました。

当時はショックでしたが、今ではあの子がこのまま義実家と繋がっていると子どもたちが危ないと教えてくれたんだなと思っています。

支えてくれる方がいること

あの子のことがあったので娘の実家への妊娠報告は妊娠6ヶ月の頃でした。

仲の良い友達には産まれてからの報告。

あの子のことがあってから半年ほど自分の親にさえも一切連絡は取れずでした。

それでも私からの連絡をずっと待ち続けてくれました。

いつもと同じように会ってくれました。

支えてくださる方がいてくれることに気づくことができました。

最後に

お腹の中の子を亡くした辛さはその人それぞれ。その人の苦しみは誰にも想像できません。

性格や環境いろんなものが複雑に絡み合って私は死にたいとまで思っていました。

誰かに相談しても解決しない、夫婦でしか乗り越えることのできない辛さでした。

あの子がお腹の中に来てくれた意味もきっと後付け。

自分が苦しみから解放されたかったから。

それでも良いじゃないとやっと思えるようになりました。

そんなことで病んでとか職場に迷惑かけてとか思う人も中にはいるでしょう。

私の苦しみは誰にも理解できないから、わかるはずもありません。

 

私たち夫婦が初めて授かったあの子。

9週という短い命でしたが確かにママのお腹の中で心臓を動かして生きていました。

あの子はたくさんのことを教えてくれた優秀な子です!

 

あの子の後に生まれたのは元気すぎるヤンチャ娘。

きっとあの子の分の体力もらって二人分の体力なんだね。

 

あの子がお空へ帰ってから3年。

今では娘は2歳になり、ママのお腹には新しい命が宿っています。

妊娠は最後までわからない、まだ13週、でもお腹の中の子は今私の中で生きています。

不安もあるけど、2歳の娘がそんな気持ちを忘れさせてくれます。

 

3年以内に離婚どころか、家族が増えるのを楽しみに幸せに過ごしています。

 

きっとあの子はお空から見守ってくれてるね。

パパとママのところにきてくれてありがとう。

 

最後まで私の体験談を読んでくださった方、ありがとうございました。

もし同じ体験をして苦しんでいる方がいるのならば、生きていれば必ず笑える日が来るということが伝わればいいなと思います。

当たり前の毎日がどれだけ幸せなのかどうか忘れずに。

 

こんな私ですがこれからもよろしくお願いします。

気持ちを切り替えてお小遣い稼ぎこれからも頑張ります。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。  
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